初めての妊娠での出来事
妊娠6ヶ月。
妊婦検診のため病院へ向かう時のこと
私は、県外から移り住んだので、
どこの産婦人科が評判がいいのか知らなくて
主人のいとこが里帰り出産をした産婦人科が良かったと聞き、その産婦人科に通っていました。
しかし、その産婦人科は電車を乗り継ぎ
片道1時間掛かる場所。
今思えば、もっと近くに産婦人科は沢山あるのに
随分遠い産婦人科に通っていたなと思います。
妊娠6ヶ月、妊婦健診で産婦人科に向かう途中、
その日はいつもよりお腹の張りの強さを感じました。
丁度、予約していた検診の日だったので、
お腹の張りのことも病院に着いてから
先生に相談しようと思い
そのまま産婦人科へ出発しました。
電車で病院へ向かう途中、
お腹の張りがどんどん激しくなってきました。
次第に痛みへと変わり
周期的に襲ってくる激痛へと変わってきました。

助けをお願いする人も身近にいなくて、
痛みに耐えながら、ベンチを見つけては座り、
休み休み、産婦人科まで到着しました。
普段1時間で着く産婦人科に、
2時間かけてようやく到着。
そこで先生に言われた一言が
「もうあかん、陣痛が始まっているわ」と。
一体何が起こったのか?!
どうすればいいかも分からないまま、
妊娠22週で突如陣痛が始まり、
そのまま出産となりました。
500グラムで生まれてきた赤ちゃんは
延命措置をされることなく亡くなりました。
旦那も仕事を抜けて病院に駆けつけることも出来ず。
ただ一人、孤独と悲しみをこらえました。
亡くなった赤ちゃんのご供養さえも、
旦那は仕事で休みがなく行けませんでした。
死産をしたことで、周りに心配をかけたくないと
明るく振る舞ってはいましたが、
死産の1ヶ月後、同じ年に出産予定だった実姉が出産。
喜ぶ両親、周りの人、本来なら可愛い甥っ子の誕生・・・
見るたびに、元気に産んで育ててあげられなかった赤ちゃんのことばかり浮かんできます。
心の底から姉の出産を喜んであげられない自分がいました。
「赤ちゃんを産んであげられなかったダメな私」と自分を責める毎日
自分を責め、自己価値が低かった私に待っていたのは
妊婦から、再び二人だけの生活に戻った私は、
家の中で一人孤独にいるのも耐えられずアルバイトを始めました。
しかし、女性が多い職場、
新人アルバイトの私はいじめに近い
扱いを受けていました。
いじめの対象は私だけではありませんでしたが、
その職場では、ベテランが新人をいじめる図式が出来上がっていました。

「自分は価値がない人間」と
思い込んでいた私は
いじめられても、その職場で耐えることが
赤ちゃんへの償いになると信じ込みバイトを続けていました。
職場でキツくあたられても、
バカにされても素っ気なくされても
ニコニコと言い返さなかった私はいじめ甲斐があるというか
周りの人も自分が標的にされないためにも
長いものに巻かれろと見て見ぬふり
今となっては、なぜそこまでして
働き先を変えることを考えなかったのかなと思います。
そして1年後、再び妊娠し安静入院を繰り返しながらも、
無事に長男が誕生しました。
旦那とのすれ違いと孤独な育児
長男が産まれ、主人も長男の誕生をとても喜んでくれました。
しかし、育児に協力したくても、
相変わらず仕事が激務だった旦那は
なかなか育児に協力することが出来ません。
年中無休の飲食店で店長を任された旦那。
今思えばブラック企業で、勤務時間は毎日15時間前後
半年間、一日も休みがありませんでした。
長男が生まれてからは
長男の生活リズムに合わせていたので
主人とは生活時間帯もすれ違い
一緒に住んでいるのに一切会話がない孤独ですれ違いの育児生活。

頼りたくても頼れない、甘えたくても甘えられない旦那。
余裕もなくお互いが自分のことで精一杯
当然、夫婦仲が深まるはずもありません。
当時の私は、自分の想いを伝えたくても
上手く伝えられず、口を開けば喧嘩になり
口が立つ旦那に対し反論もできず、
大声で怒鳴られたら泣いて黙って、
湧き出た感情を飲み込むことしか出来ませんでした。
ママ友を作ろうと勇気を出して外へ出かけるも、
世間一般の子育て中のママ友と比べてしまい
自分の孤独な育児生活にみじめで辛くなっていくだけ。
旦那にも打ち明けられない
反対を押し切った結婚だったため
親にも弱音を言えない、行き場のない苦しみ。
とうとう、自分では心が制御できなくなり、
気が狂い大声で泣き叫び身体が勝手に動き、震え出す発作が
度々起きる程、心を病んでしまいました。
当時の私は精神状態が普通ではなく
ここから飛び降りたら苦しみから解放されるかも
誰か、この私に気づいて!
と、自殺も考えてしまっていました。
でもその時に頭をよぎるのは
結婚を心配して反対してくれた父親。
目いっぱいの愛を注いで育ててくれた両親のためにも
私は絶対に自ら死んではいけないんだ!
幸せな姿を見せなければいけないんだと思いとどまることが出来ました。
長男を出産し半年後に、実父を襲った病魔
長男が産まれた翌年の正月明けから、
最愛の実父が体調を崩し入院。
癌が見つかり、
余命半年の宣告を告げられました。
県外に住み、まだ子供が小さかった私は、
十分な親孝行も出来ないまま
癌が発覚し僅か5ヶ月の闘病の末、父は他界しました。
父の葬式さえも旦那は仕事が休めませんでした
そんな旦那とのすれ違い結婚生活には絶望しか感じられません。
悲しみも癒えぬ父の死から2ヶ月後、
今度は幼い頃、仕事で忙しかった母の代わりに私を育てて可愛がってくれた祖母の死。
20代の自分には、
次々と襲いかかる不幸を受け止められず
「なんで私にはこんな辛いことばかり起こるんだろう」
と、周りの人が幸せそうにしていることを羨むばかり。
こんな精神状態での育児。楽しめるはずもなく
世間一般で言う「いい子」に育てようと思えば思うほど、
子供は言うことを聞かない。
周りの子と比べてはイライラ。
自分自身もギリギリの精神状態で
「助けて!!」と心では叫んでいました。
今思うと、長男には自分のストレスをぶつけ
「あなたがいい子じゃないからママは大変なのよ!!」
と言わんばかりに怒ってばかりで
可哀そうな想いをさせてしまったなと思います。
当時の私は不満や不安ばかりに意識を向けていて
出口の見えないトンネルの中にいるような気持でした。
当時の経験から年月はかかりましたが
自分の人生を変えたい!
自分の人生、自分で舵取りし幸せを掴むんだ
と様々なことを学び取り入れました。
次に続きます