プロフィール

プロフィール 幼少期~一度目の妊娠

 

はじめまして、中村さゆりです
ご覧いただきありがとうございます。


このサイトでは
月収3万円のアラフォーパート主婦だった私が
起業を目指すも全く
上手くいかなかった時期を経て


2019年にインスタグラムに力を入れ始め
3か月で1万フォロワーになったのをきっかけに
現在では9割をオンラインのみでビジネスをし


最高月収220万円
その後も仕事も家庭も大切にし
女性として、人間としての
幸せのバランスを大事にしながら
安定的に収益を上げられる
ようになりました


アラフォーでスキルもキャリアもなかった私でも
好きな時間に好きな場所で
オンラインで稼げるようになった方法
また、バランスの取れた成功と幸せについて
など発信しています

私のプロフィールについてお話しますね


私は神戸市在住 1974年生まれの現在47歳
主人と息子2人(20歳、17歳)がいます


長男は今年、大学に進学し
県外で一人暮らしを始めたので
今は次男と旦那と3人で暮らしています



次男は現在受験生
主人は飲食店を営んでいます


好奇心・チャレンジ精神は旺盛
やりたいと思ったことは
家族に相談するよりも先に行動しないと
気が済まない性格



自分で決めちゃって
事後報告ということが多いです

でも性格はマイペースでのんびり屋
人当たりが良く温厚な性格だと思います

週一でパーソナルジムに行ったり
気が向いたときにトランポリンにも通い
ストレス発散、体力維持を心掛けています。

お酒が好きで
スパークリングワインとチーズにはまっています


楽しいこと大好き♪
旦那が休みの日は二人でドライブや旅行したり


訪れた先で美味しいものを食べたり
美しい景色を見たり新しい発見をするのが好きです。

 


インスタグラムでは
お出かけや旅行のことを発信しています

中村さゆり 公式インスタグラム


2019年5月から力を入れ始めた
インスタグラムが3か月で1万フォロワーに
なったことをきっかけに


2020年4月からインスタコンサルとして
ビジネスをスタート


同年の6月に起業塾を立ち上げたことで
最高月商は220万円!



9割がオンラインで完結

パートで働いていた頃に比べ
十分過ぎる収入を頂いていて



現在は好きな時間に場所も選ばず
人間関係に悩まされることもなく
パソコンとネット環境があれば
仕事が出来ています。

 

もちろん、楽して儲かるわけではありませんが
自分にとってとても心地よい
働き方だなと満足しています

 

末っ子気質で自己主張のない小学生時代

幼稚園の頃、
アルバムのどの写真を見てもカメラ目線(笑)
ぽっちゃりブスだったのに自意識過剰?!
外見を意識する子でした。



ブロックでお家を作るのが大好き
モデルハウスの広告を眺めるのが大好き
広告の紙の裏に家の設計図を書いて
遊ぶのが大好きな子でした



小学校の卒業アルバムに書いた将来の夢は
建築設計士とファッションデザイナー
なぜファッションデザイナーと書いたのかは謎ですが(笑)



母親が保育士をしていたというのもあり
しつけには厳しい家で育ちました


そういう環境で育ったので
「周りの目」「世間体」
気にするようになっていました。



鳥取の田舎育ち、
世間体や行儀のよいことを
重んじる風潮
が強く
私も人に迷惑を掛けないよう、
目立たないようにしていたし


3人兄弟の末っ子だったこともあり
子供の頃から自分で物事を選択する機会が
あまりなかったかもしれません


誰かが選んだその残りが私のもの
自分で選ぶという経験も少なく


「どれにする?」と聞かれると
「どれでもいい・・」と
こだわりが少ない性格だったかなと思います

 

リーダータイプというより
リーダーについていくサブ的な
ポジションにいることが多かった幼少期でした

何やっても「そこそこ」の中学・高校時代

我が家は母親がずっと働いていて
あまり子供に時間を割けなかったため
教育ママという感じではありませんでした


おさななじみの子のママが
専業主婦でいつでも家にいるのを
羨ましく思っている子供時代でした


とは言え、母親が働いてくれていたおかげで
お金に困ることもなく
お金を理由で何かを諦めることもなく
不自由のない暮らしをさせてもらえていたのは
本当にありがたかったなと思います。



高校までは進学校へ自力で進学出来たので
学力に関して厳しく言われたことも
ありませんでした
(高校では勉強についていけず
落ちこぼれでしたが( ;∀;))

 

私が学生時代だった頃は
今に比べて学歴社会だったので
偏差値の高い高校や大学に進学する従兄弟もいて

 

親戚の集まりでは
「〇〇ちゃんに比べてうちの子はそこそこで・・・」
といつも誰かと比べられ
母に言われてるのがすごく劣等感で


「私は何をやっても中途半端だし
そこそこ止まりな人間よね」

と、その頃から人生諦めモード




さして努力もせず
大学受験も本命の志望校は失敗し
滑り止めで受かった短大へ進学しました。

親元を離れ神戸へ 短大時代に経験したのは・・・

短大は神戸に進学
学校の斡旋するマンションで
同じ学校のはじめましての同級生の子と3人で
当時では珍しいルームシェアをしていました



3LDKで学校から近いマンションだったので
それぞれの友達が集まってくるたまり場
とても賑やかで友達も沢山できた学生時代でした



今の主人とも学生時代に出会い
短大へ進学して初めて自由気ままな日々を暮らしていました



あっという間の充実した2年間・・・
卒業を間近に控えた1995年1月17日



その日、私の成人のお祝いをしてくれて
私のことをとても可愛がってくれていた
頼れるお姉さん的存在の
バイトの先輩の家に泊っていました



明け方、上から突き落とされた感覚と激しい揺れ
一瞬何が起こったか分からない中


次の瞬間、私はたんすの下敷きになり
胸が苦しくて
「え?私、死んじゃうの?!」と思いました


でも、体が動かせたし
すぐに先輩が救出してくれ大事には
至りませんでした



阪神・淡路大震災


当時、神戸の人口島、
ポートアイランドに住んでいて
マンションから見える海の向こう岸に
火災による黒煙が黙々と
上がっているのを見て
恐怖を覚えました



人生何が起こるか分からない
人の命っていつ終わりが来るか分からない
命ある限り悔いなく生きなければ

と思った経験でした

結婚して神戸に移り住み孤独を味わった新婚生活

地元に戻った私は遠距離恋愛を5年しました


幸せな結婚生活を夢見ていた私でしたが
飲食業で働いていた彼との結婚は
「家庭向きではない」という
私達の未来を心配した実父に反対を
されていました。



父は「断固として結婚は揺るさん!!」
と言うような、力みなぎる言い方ではなく



今まで私がやることに
殆ど反対することも口出しすることもなく
温厚で優しかった父が



「さゆりの結婚のことが気がかりで
ずっと頭を離れず心がモヤモヤとして
辛いんだ・・・」
と力なく私に告げてくれました。



すっかり肩を落とし
元気がなくなる父の姿を見ていると
自分が選んだこの結婚は
間違っているのだろうかと悩みました。




ですが、自分の選択を信じ、彼を信じ、
最終的には母が父を説得してくれ、
父も理解をしてくれて両親との関係を
壊すことなく
結婚することが出来ました。



こうして、私は親元を離れ
彼の住む神戸へと引っ越し新たな人生をスタートしました。


私を待っていたのは幸せな結婚生活ではなく・・・

幸せな結婚生活に夢を膨らませ、
楽しい毎日が待っていると思っていた私に訪れたのは
「孤独な結婚生活」でした。

仕事を終えた旦那の帰りはいつも深夜3時前後。

ただひたすら彼の帰りを待ち、
彼が帰ってきた夜中3時から
夕飯を一緒に食べる生活。



彼のライフサイクルに合わせ、
明け方に寝て昼過ぎに起きるという
昼夜逆転の生活をしていました。



そんな結婚生活をし始めて半年後に妊娠が発覚。
時を同じくして、実姉も同じ年に妊娠。
姉と二人で「同級生のいとこだね」と赤ちゃんが生まれるのを心待ちにしていました。

妊娠して初めて知ったのですが、
私の子宮は形態異常と子宮筋腫があり、
流産のリスクが高いということ。




妊娠初期から寝たきりの
安静入院を繰り返していました。



産まれてくる赤ちゃんを
とても心待ちにしてくれていた旦那は、
さらに仕事で成果を出さねばと
それまで以上に仕事に打ち込みました。



県外から嫁いだ私にとって、
旦那以外に会話をする人がいません。



安静生活に加えて昼夜逆転の生活も
妊婦の体にはストレスや負担は相当なものでした。



そんな生活をしていた妊娠6ヶ月の時、
私にある出来事が起こりました。


長くなるので次に続きます。

 

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